またまた嬉しいニュースが飛び込んできました!リオデジャネイロ・パラリンピック最終日に、今回から初めて実施された女子マラソン(視覚障がい)で福岡県太宰府市在住の道下美里選手が3時間6分52秒で銀メダルに輝きました。
こんにちは、楓です。
僕の知り合いの住んでいるマンションに、いつも通勤途中であいさつを交わす小っちゃな女の人がいて、視覚障害者らしいけどマラソン走るんだって!と聞いたことがありました。そしたら今朝、その知り合いからメールで、「銀メダリスト!あの女のひと!」って入ってきて、最初は何のことか全くわかりませんでした(汗)
知り合いも彼女の苗字が「道下」さんってことと、どうもリオパラリンピックに出場するらしいってことは知ってたみたいですが、だったら早めに教えといてよ~と思った次第です(涙)
道下美里さんってどんなひと?
選手名:道下美里(みちした みさと)
生年月日:1977年1月19日
身長/体重:144cm/-
出身地:山口県下関市
所属:三井住友海上火災保険(株)
ニックネーム:みっちゃん
ポジション・クラス:T12(視覚障がい)
好きなもの:から揚げ
好物→から揚げって、何て素敵なんでしょう!今度知り合いに、道下美里さんお勧めのから揚げ屋さんを聞いといてもらおっと(笑)
現在は福岡県太宰府市に、学生時代のアルバイト先で出会った素敵な旦那さまと一緒に暮らされています。ちなみに視覚障がい者マラソンは伴走者2名と共に走るのですが、旦那さまもしっかり伴走者として参加されたみたいですね。
成績について
・2014年 4月 IPCマラソンワールドカップ/ロンドンマラソン 2位 (3時間9分40秒)
・2014年 12月 防府読売マラソン(2時間59分21秒)
・2015年 4月 IPCマラソン世界選手権/ロンドンマラソン (3時間3分26秒)
・2015年 12月 防府読売マラソン(IPCの部)優勝(2時間59分32秒)
・2016年 2月 別府大分毎日マラソン視覚障がいの部優勝(3時間3分42秒)
クロニクル
道下美里さんは中学2年生のときに、日本人の3万人に1人が発症するといわれている「膠様滴状角膜ジストロフィー」と言う病気で失明したそうです。
料理が好きだった道下さんは大学卒業後、調理師免許を取得して、そちらの道に進もうとしていた時に左目も同様の病気で視力が低下し、現在は0.01以下だそうです。
26歳のときに入学した特別支援学校で、陸上競技の才能を見出された道下美里さんは、中距離ランナーとして国際大会に出場しますが世界トップクラスの選手との差を痛感して、第一線から退いてしまいました。
そんな道下美里さんを再び世界の舞台に押し上げたのが、福岡市にある障がい者と健常者がともに走る「大濠公園ブラインドランナーズクラブ」というチームでした。
結婚して福岡に移り住んでいた道下選手は2010年にクラブに参加しました。当初は「楽しく走れればいい」という気持ちだったそうですが、他のメンバーたちから「もっといける!」とトレーニング方法などを熱心に教えられ、「目標を持って走る喜びをもう一度学んだ」と道下選手は話しています。
可能性は無限大
8月に行われた、福岡県太宰府市主催の壮行会で道下選手が語った言葉だそうです。
中学2年という多感な時期に右目の視力を失い、その後さらに左目も同様の病気でほとんどの視力を失った道下美里選手。若いときには目の手術がうまくいかず、その苛立ちから母の千代子さんに「お母さんのせいだ」と心ない言葉をぶつけたこともあったそうです。
大切な仲間やパートナーと出会い、多くのものを得た現在では、「目が不自由な娘に産んでくれてありがとう」と言えるとも語っています。
リオへの出発前、道下美里選手はこう語っていました。
「いろんな人に障がいを知ってほしいと強く思う。障がいを自然体で受け入れる人が増えてほしい。そのためにもメダルを取りたい」
その言葉通り、見事に銀メダル獲得という快挙を成し遂げてくれた道下美里選手に、心からの「ありがとう」を伝えたいと思います。
まとめ
実は僕自身、緑内障という病気のため、右目の視野狭小悪化によりほとんど見えない状況です。幸い左目の矯正後視力は1.2以上あるので日常生活にそれほど不自由している訳ではありません。それでも道下美里さんのように、もしも左目の視力を失うようなことになったら・・・と考えるだけで恐ろしくなってきます。仮にそうなったとして、果たして自分自身、その事実と折り合いをつけて生きていけるのでしょうか?考えてもわからないことは考えないというのが僕のポリシーなので普段は出来るだけ考えないようにしているのですが、今回の道下美里選手の銀メダル獲得という嬉しいニュースに触れて、いざとなったら何とかなるさ!と勇気を貰えた気がします。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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