こんにちは、楓(fu)です。
いよいよ今夜ですね~「SONGS 吉田拓郎70歳、人生と音楽を語る」(NHK総合 23:00~23:25)25分という限られた時間の中で、どのようなことが拓郎の口から語られるのか、それよりも何よりも、体調を崩されてから以降で動く拓郎を目にするのは本当に久しぶりなので、純粋にひとりのファンとして今夜はTVの前に正座して待つ!くらいの気持ちです(笑)
今年の夏もいつの間にか過ぎ去ってしまった感が少し寂しい今日この頃ですが、夏と云えば「夏フェス」ですね!日本の「夏フェス」と云えば「フジ・ロック」、「ライジング・サン」、「サマソニ」、「ロック・イン・ジャパン」の4大フェスが有名ですが、それ以外にも現在では毎年数え切れないほどの大規模音楽イベントが開催されています。
これら観客動員数ウン万人以上の音楽イベントは今でこそ主催者側の運営ノウハウも確立され、安全に定期的に開催されるようになっていますが、日本の音楽史上、一番最初に数万人を集めた音楽イベントをご存知でしょうか?
吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋
「吉田拓郎」と「かぐや姫」が1975年(昭和50年)8月2日夕方から8月3日早朝にかけて、静岡県掛川市のヤマハリゾートつま恋多目的広場に、5万人以上を集めて開催した日本最初の野外オールナイトコンサート。
このコンサートの内容については、また別の記事として書きたいと思います。ここではこのコンサートが開催に至るまで、また開催中の主催者側の苦労した点などを調べてみました。
初めてのことをやるのが如何に大変だったかについて
・チケットはすぐに完売。しかし会場となる静岡県には青少年の夜間外出を禁じる条例があったため、オールナイトコンサートとなれば青少年は途中退場させる必要が出てくることが問題化。対象者をコンサート途中で強制退場させれば暴動が起こる可能性もあった。コンサート当日は入場ゲート前に補導係の教師が立っていたらしい。
・1975年当時の掛川市の人口は約6万にだったにもかかわらず、日本全国より総人口を上回る人が集まったため、会場から数キロ圏内の商店からは品物がほぼ売り切れてしまい、買いたくても買えない状況が発生してしまった。
・現在とは違ってコンサートは全席自由だったので、約一か月まえから入場ゲート前に並ぶ人が出始め、一週間まえには3千人から5千人が野宿を始めてしまった。
・全国から集まったファンの男女比は女性:6割、男性:4割。入場ゲート前にはトイレが用意されておらず、女性は近隣の民家で借りて済ませたが、男性は周辺の茶畑で済ませる者たちも出始めた。主催者側に苦情が入り、スタッフの若手社員がその回収をやらされた(悲劇!)
・ライブ当日、徹夜組の6千人を含む約3万人の観客が入場ゲート前に長蛇の列を作ったので会場予定時刻を12時から午前9時に繰り上げたが、一斉に会場になだれ込んだために大混乱が発生。当日の気温は35度と猛烈な暑さであり、日射病で倒れる人が続出した。救護テントの中には若い女性が魚河岸のマグロのように並べられていたらしい(悲劇!)
まとめ
コンサートは無事開始となり、午後9時には主催者側の呼びかけで未成年者の退場も大きな混乱もなく行われたそうです。イベント運営に対する観客からの罵声などはあったようですが、心配された観客同士の揉めごとや事件の類は一切なく、みんなが本当に楽しみ、いろんなことを協力し合っていたそうです。
僕自身、このコンサートには年齢的にも参加出来ていませんが、10年後の1985年7月27日から28日にかけて開催された「ONE LAST NIGHT IN つま恋」には九州から参加しました!何せ当時は吉田拓郎最後の野外オールナイトコンサートの触れ込みで、もしかしたら引退するかも?みたいな情報もあったので(笑)トイレも沢山あって、売店もちゃんと出ていて品切れもなかったと記憶しています。
結果的にこの「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋」の主催者側、アーチスト側、ひいては観客側の苦労と経験があったからこそ、現在の夏フェスはじめ、大規模音楽イベントの速やかな運営、開催が行われていると云えるのではないでしょうか。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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