またまた驚きのニュースが飛び込んできました!ボブディラン(75歳)が2016年のノーベル文学賞を受賞しました!ボブ・ディランといえば、ある年齢以上の一般的日本人がイメージするのは、ガロが歌って大ヒットした名曲『学生街の喫茶店』の歌詞の中の「♪片隅で聴いていたボブ・ディラン~」というフレーズじゃないでしょうか(笑)
こんにちわ、(楓)です。
いきなり飛び込んできた驚きのニュースに世界中が大騒ぎしているようですね。僕自身、最初にTVテロップでボブディランの名前を目にした時には、不謹慎ながら『すわっ、ボブディランが亡くなった!?』とか思ってしまったくらいですから(汗)
ボブディランについての名曲の数々やら、プロフィールやら、リアル世界もネット世界も、とんでもない数の情報が飛び交っています。
そこで今回は彼の女性遍歴に触れながら、その時々の作品について調べてみました。
ボブ・ディランとは
ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日 – )は、アメリカのミュージシャン。出生名はロバート・アレン・ツィンマーマン(Robert Allen Zimmerman)だが、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名している。
スーズ・ロトロ
彼女の名前はスーズ・ロトロ。この有名なアルバム『The Freewheelin’』ジャケットにふたり仲良く映っている彼女です。
撮影当時、彼女は何と17歳でした。
彼女はイタリア系の共産党員である父親の影響で早くから社会活動を行っており、公民権運動団体の職員をしてたり、グリニッジ・ヴィレッジ周辺で展開してたフォーク・ソング復興運動に親しみ、ボブディランと知り合ったようです。
このアルバム『The Freewheelin’』の1曲目に、あの名曲『風に吹かれて』が収録されています。
ボブ・ディランはこの曲で急速に名声を高めていくこととなりますが、一方のスーズ・ロトロはイタリアへ留学し、少しの間ですがディランと別れることとなります。
そのさみしさを歌った歌が3枚目のアルバム「時代は変わる」の収録曲である
「Boots of Spanish Leather(スペイン革のブーツ)」に歌われてます。ボブディランはこの曲で、離れ離れのふたりのやり取りを対話形式で歌ってます。
ジョーン・バエズ
急速に有名になってくディランはニューポートフォークフェステバル等でプロテストソングを歌って行くにつれ、ジョーン・バエズと行動をともにするようになります。
当時のバエズは黒髪の瞳の大きな、非常にチャーミングな女性でした。
やがてジョーン・バエズとの有名な恋愛が進行して行くにつれ、スーズ・ロトロとの恋愛は終わって行きます。
ディランはバエズとの関係が進展していく中でも、スーズ・ロトロとの関係は継続して行こうとしたようですが、そのことはスーズ・ロトロを混乱させてしまいました。
そして1964年、スーズ・ロトロは2回目のイタリア留学に向かい、ディランとの関係を絶ったのでした。
当時、バエズは音楽を通して訴えることで、政治を含めた多くのことを変えて行けると考えていました。
しかし、ディランはそうではなかったようです。その時起こったことを歌にすること。それがたまたまプロテストソングと呼ばれただけであって、歌で政治を変えようなんて思ってなかったと思われます。
でも、ディランは当時あるインタビューに「僕は今でも大きな犯罪のひとつは、不正を目前にしてそれが不正であるとわかっていても目をそむけてしまう人々が存在していることだと思う。ぼくはまだ21歳だが、今まで多くの戦争があったことを知っている。そのことを21歳以上のあなた方は僕以上にわかっているはずだ。」と語ってます。
イーディ・セジヴィック
イーディ・セジウィックはアメリカ合衆国の女優・ファッションモデル。イーディー・セジウィックと表記されることもある。 1960年代に制作されたアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演。60年代のファッション・アイコンとして注目された。
生年月日: 1943年4月20日生まれ: アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンタバーバラ
死没: 1971年11月16日, アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンタバーバラ
(出典:Wikipedia)
1960年代初め、時代の最先端を体現していたアンディ・ウォーホルの製作活動をするスタジオ、通称『ファクトリー(The factory)』にミック・ジャガーやルー・リードらと共に出入りしていたイーディ・セジウィックはアンディ・ウォーホルに見出され、彼の映画に出演し、次第に名声を高めて行くこととなります。
その後、彼女はポップカルチャーの最前線に立ち、その独特のファッションも相まって時の人となり、1965年にはアメリカの「ガールズ・オブ・イヤー」にも選ばれました。
そんな彼女は、ニューヨークのチェルシーホテルで、ボブ・ディランと出会います。
そして彼女の運命は大きく変わっていきます。
二人がやがて恋愛関係になるに従い、アンディ・ウォーホルはイーディ・セジウィックと距離を持つようになります。
ボブ・ディランとの恋愛を取るか、アンディ・ウォーホルとの関係を取るか、悩んだ末に彼女は無名だった自分を見出してくれたアンディ・ウォーホルを選ぶのでした。
この時ディランは「彼(アンディウォーホル)は君を商品としか見てないんだ」と説得したものの、結局彼女はディランのもとを去っていきました。
ボブディランが彼女のために作ったと云われているのが、アルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に収録されています。
「女の如く」(Just Like a Woman)
誰も悲しみはしない
ぼくが雨の中に立っていたって
誰でも知っている
あの子が新しい服を着てるって
でもリボンも髪飾りも
巻き毛からずり落ちていた
彼女は振舞う 女のように そうさ
彼女は恋をする 女のように そうなんだ
彼女は苦しむ 女のように
でも彼女は小さな少女のように傷つきやすい子なんだ
一説にはジョーン・バエズのことを歌ったものだという意見もあるようですが、いずれにしてもボブディランのしわがれた声と哀愁のあるハープの音が切なくて、個人的にも大好きな曲です。
イーディー・セジウィックは28歳という若さで、薬物過摂取による心臓麻痺により亡くなりました。(自殺という説もあるようですが、悲しすぎます・・・)
サラ・ラウンズ
1965年イギリス、マンチェスターのロイヤル・アルバートホール。
フォークギターをエレキに持ち替えたディランを聴衆はブーイングで迎えました。
フォークの神様がロックに転身した瞬間でした。
この頃、ボブディランはサラ・ラウンズという一人の女性と、一度目の結婚をします。
ディランはサラとの間に4人の子供を授かりました。
この子供たちの一人が有名なJakob Dylan(ジェイコブ・ディラン)です。
あの有名なバンド、The Wall flowers(ウオールフラワーズ)のリーダーです。
残念なことにディランとサラは1977年に離婚することとなります。原因は当時ディランのバック・コーラスをしていた女性とディランの浮気が原因と云われています。
この浮気発覚の後、1976年に発売されたアルバム「欲望」の中の「サラ」という曲(当然奥様サラを歌った歌)で、一旦は離婚の危機を脱したのですが、結局1年後には別れてしまいました。
このあたりの流れは、ボブ・ディランの人間性を感じさせてくれるエピソードとして、僕は好きですね!
現在の奥様は?
さて、現在のボブ・ディランは2人目の奥様キャロル・デニスとその娘と共に、幸せな生活を送られています。
基本的にボブ・ディランはプライベートに関することは一切公表していないため、非公式の出版物等で調べたことを記事にしてきた訳ですが、キャロル・デニスは元々ボブ・ディランのバック・コーラスをやっていたようです。
そうですね。感の良い人ならピンとくるとは思いますが、多分前妻さんと別れる原因となった女性だと思われます。
相田みつをさんではないですが、人間だもの・・・、現在幸せであればいいんじゃないでしょうか?
まとめ
女性遍歴の中から生まれた名曲の数々・・・というタイトルからすると、少しニュアンスが違ってしまったかもしれませんが、名曲『風に吹かれて』が世に生まれたときには確実にディランの傍らにはスーズ・ロトロが寄り添っていたはずです!
もしかするとディランの生歌で、『風に吹かれて』を世界中で一番最初に聞いたのはスーズ・ロトロじゃないでしょうか?
完全な妄想ですが、絶対にいい曲が出来たら一番最初に彼女に聞かせると思いませんか?
ギターを始める理由なんて、歌を作り始める理由なんて、世界中のシンガーソングライター(男性)なら絶対に女性にモテたいからだと思いますよ(笑)
今回のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞は、シンガーソングライターが初めて受賞したという歴史的意味合いも含めて画期的なことです。
また、今回の受賞によって彼のこれまでに発表してきた作品たちが世界中で再び注目されることで、現代の若い世代に新たなフォロワーを生み出していくこと、それこそが最大の功績と呼べるのではないでしょうか。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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